「山草庵(さんそうあん)」は、この家が建てられた当初、初代の所有者によって名付けられた名前です。
玄関には、水車の板を使って作られた「山草庵」の扁額が、今も掲げられています。
山草庵は、長野県信濃町、野尻湖からほど近い場所に建つ古民家です。
約200坪の敷地に母屋と蔵があり、母屋には土間、囲炉裏のある広間、上座敷、奥座敷、縁側など、日本の古い住まいの空間構成が残されています。
一方で、約20年前には大規模な改修が行われ、キッチン、浴室、トイレなどの水回りも整備されています。
古民家の姿を残しながら、現在の暮らしへと受け継がれてきた家です。
土間から最も近い場所にある、15畳の広間。
囲炉裏と火鉢が備えられ、日々の暮らしの中心でありながら、人を気軽に迎えることのできる空間です。
約3.5メートルの高い天井と、南側いっぱいに続く縁側。
北側の茶の間まで戸を開ければ、家の中を南北に風が通り抜けます。
上座敷との間には、梅や蓮、鳥を意匠とした透かし欄間。縁側側には葉ガラスを用いた額付腰板付障子など、光や風、隣室の気配をゆるやかにつなぐ、古い日本家屋ならではの意匠が残されています。
12.5畳の上座敷。
床の間と仏間を備え、客人を迎えるための正式な座敷として、この家の中でもっとも格式ある空間です。
南側には縁側が続き、その上部には松・竹・梅をかたどった透かしの意匠。障子や欄間、床の間とともに、座敷全体に端正なリズムをつくっています。
華美ではなく、静かに整えられた空間。
古い日本家屋が大切にしてきた「座敷の格」を、今に残しています。
上座敷のさらに奥にある、8畳の奥座敷。
天井はやや低く抑えられ、家の中でもひときわ静かで、落ち着きのある空間です。
床の間に、高さを違えて設えた脇床と収納、そして書院。
上座敷とは襖でつながり、開け放てば二つの座敷がひと続きの空間になります。
東側には小さな縁側と出入口があり、朝には家の中でもいち早く光が差し込みます。
昭和20年(1945年)、俳画家・下村為山がこの家へ疎開した際には、この奥座敷で暮らしていたと伝えられています。
南側には、広間と上座敷に沿って縁側が続きます。
土間の上がり縁からもつながり、障子やガラス戸を開けば、座敷から庭へと空間がゆるやかに連続します。
深い軒が日差しを和らげ、腰を下ろせば庭を渡る風と、二つの風鈴の音。
椅子を置いて本を読んだり、夜風にあたりながら過ごしたり。サンダルを履けば、そのまま庭へ出ることもできます。
夜には古い電傘の灯りと、廊下の先にある丸窓が浮かび上がります。
内でも外でもない。
日本の古い家が持っていた、暮らしと庭をつなぐ場所です。
敷地内には、大正2年(1913年)建立の二階建ての蔵が残されています。
かつてこの家を所有した豪農たちが、米蔵として使っていた建物です。
築113年を経た今も、太い梁や小屋組、板壁、建具が残り、内部には木の力強さが感じられます。
現況での引き渡しとなりますが、このまま蔵として使うだけでなく、工房やアトリエ、ギャラリーなどへ。
113年の時間を受け継ぎながら、次の使い方を想像できる空間です。
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販売価格 |
現在非公開物件につき、詳細はパートナー様へお問合せください。 |
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所在地 |
長野県上水内郡信濃町大字富濃*番地(現在非公開物件につき、詳細はパートナー様へお問合せください) |
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土地面積 |
793.93㎡(240.16坪)※公簿 |
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建物面積 |
205.95㎡(62.3坪)※公簿 |
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建立 |
慶應2年(1866年)/2004年大規模修繕 |
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構造 |
木造草葺平屋
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附属建物 |
土蔵・倉庫・味噌蔵 |
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接道
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南側町道(幅員約2.5m)に約35m接道(42条2項道路) |
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建ぺい率・容積率 |
70%/400% |
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道路の除雪 |
前の道路は町道につき除雪有 |
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設備 |
電気・上水道・浄化槽・プロパンガス・光回線引込済 |
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間取り |
5DK+土間+縁側+倉庫+蔵 |
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駐車 |
4台可 |
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見出し
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